徳川家康らの宗教顧問として江戸時代初期の宗教政策に深く関与した天台宗の僧侶・天海が雌伏(しふく)の時を過ごした江戸崎不動院に焦点を当てた特別展「常州江戸崎不動院」が4月24日(日)まで、稲敷市立歴史民俗資料館で開かれている。午前9時〜午後5時(入場は4時半)。
かつての不動院は現在の江戸崎中学校とその周辺一帯の広大な敷地を境内とし、文明の乱の頃に比叡山無動寺の幸誉法印が乱を逃れ不動明王を祀(まつ)ったことに始まる。
戦国時代の常陸国で発生した僧侶の素絹衣着用を巡る天台宗と真言宗の「絹衣相論」では、後奈良天皇が不動院に論旨を下し、由緒と格式ある寺院として江戸崎の寺院の中で筆頭格とされた。
1591年、天海は隋風(ずいふう)と名乗り不動院に入院。天海と名を改めた頃に、京都妙法院門跡との書簡のやり取りで歴史に名を残し始めるものの、活躍の機会を得ることはかなわなかった。
だが後に徳川家康と出会うことで天海の運命が開けていった。戦乱で荒廃した時代の終焉(えん)を願い「現世安穏、後世善処」を掲げ、多くの弟子を育て比叡山の寺院の復興や江戸の寛永寺の建立に携わるほか、家康を東照大権現として祀(まつ)るなど一歩一歩、歩みを進めた。
一方、天海が去った後の不動院は、火災や再建を繰り返し、明治維新では領地や境内地を失い、その後一山焼失の被害に合うなど厳しい状況に陥ったが、それでも今日まで本尊木造不動明王立像や慈眼大師真影、東照宮宝号を守り抜いた。
「大きな志を抱き、その実現に向け自らの知略で突き進んだ天海は、宗教人としても優しい眼差しを持っていた。黒衣の宰相と言われているが、徳川家の宗教顧問として赤い衣を身にまとい大活躍した天海大僧正を改めて知る機会になれば」と同館の森田忠治さん。
今展では、不動院に残された寺宝と天海ゆかりの資料写真、天台宗寺院の資料などから往時の不動院と天海の姿に迫るほか、7世紀後半に作られた県内最古の仏像や恵心流の中世文書の写真パネルなど貴重な品々を一堂に展示する。
入場無料。月曜及び3月22日(火)・31日(木)休館。
特別展示講演会=3月26日(土)、演題「史料から読み解く天海僧正〜不動院時代を中心に」。3月27日(日)、演題「不動院と天海僧正〜絵画を中心に読み解く」。
両日、稲敷市あずま生涯学習センター、午後2時開始。要申し込み。
■問い合わせ
0299(79)3211/同館(稲敷市八千石18-1)
* 問い合わせの際は「常陽リビングのホームページを見た」とお伝えいただくとスムーズです。