Joyoliving News : 2020年03月09日掲載

つくばから福島へ夏の味届けて9年

浪江町民にスイカ届ける 糸永 員偉(かずひで)さん

東日本大震災発生から間もなく9年。原発事故により甚大な被害を受けた福島県浪江町の町民に、つくば市在住の糸永員偉さん(70歳)が自家栽培のスイカを届け続けている。これまでに大玉・小玉の計約980個を持参し、昨秋には町の功労表彰を受けた。喜びの声と笑顔に後押しされながら、10回目の夏に向け準備を進めている。

つくば市北部、筑波山を望む畑の一角で糸永さんが土に触れる。「夏は一面が緑に覆われます」。発注した接ぎ木苗を、4月下旬~5月上旬に植え付け。昨年同様7月ごろ浪江町出身者が多い町外の復興公営住宅へ向かい、8カ所程度に持参を計画する。

できること


愛犬の名から命名した「ラブ&リー農園」の一角で。「家族のサポートあってできる活動です」=2月27日、つくば市内

大分県出身で実家は農業を営んでいた。自身は会社員として都内や近郊で働く傍ら、農園開設の夢を見据え40年ほど前に自然豊かなつくばに転入。還暦を迎えたことを機に2009年、約1300平方メートルの土地で野菜や花の栽培を開始。収穫物の行き先は自家消費や寄付が中心になっている。

11年4月初旬、福島からの震災避難者が身を寄せた霞ケ浦総合公園(土浦市)で、仲間と一緒に物資の仕分けや運搬のボランティアに参加。生鮮食品を口にする機会が少ないことが分かり、考えた。「自分には畑がある。スイカはどうだろう。今なら間に合う」。

幅広い年代に親しまれ、甘くみずみずしい夏の味の栽培を思い立ち、2日後には早速種まき。実家の畑作業を思い出しながら試行錯誤した結果、初年から豊作に恵まれた。浪江町の担当課に連絡を取り、当時二本松市に機能が置かれた町役場など2カ所に大小約100個や旬野菜を持参。近くの郭内公園の仮設住宅で実を切り分け、気付けば人垣に囲まれていた。「ありがとう」「また来てね」の声に気合が入った。

以降も安定した栽培や出来を求め、ベテラン農家から肥料や交配など全般を習った。手塩にかけて育てたスイカは、時に農園で農業体験をする子どもたちにも手伝ってもらい収穫。毎夏、マイカーにどっさりと積み込み一路北上する。

スイカパワー


マイカーに積めるのは50~60個ほどが限度。2、3日に分けて届ける(糸永さん提供)

現地では切り分けた実を持ち帰ってもらう以外に、住民のアイデアからその場でほおばる楽しみが生まれた。「包丁が入る時はいつもドキドキ。中が真っ赤だとホッとします」。大きな実を皆で一緒に分けて食べる。栄養とは別の「スイカパワー」の共有を実感する。

今夏も訪問予定の北沢又団地(福島市)は17年入居開始の復興公営住宅。自治会長熊田伸一さん(67)によると135戸のうち約8割が浪江出身。高齢世帯や一人暮らしが多いため地域と連携した催しなど顔を合わせる機会づくりに力を入れ、歌などのボランティアも歓迎。糸永さんの訪問時も住民に周知する。仮設住宅にいた5、6年ほど前からスイカを味わう熊田さんは「取れたてを味わう機会はなかなかないので、おいしくいただいています。みんな感謝していますよ」。

風化させない


福島市内の復興住宅でスイカを切り分ける様子(2018年7月、糸永さん提供)

「ウチも作っていたんだよ」「前にもいただきましたね」―。訪問先での会話はほぼスイカから始まるが、故郷や子・孫の話題になると涙を浮かべる人もいる。

ボランティアで知り合い3年ほど前に車で町内を案内してくれた男性はその後亡くなった。「故郷に帰れない、大切なものを失った方がいることは風化させてはならないんです」 年齢面や息長い支援を考え「まず10年」と地道に取り組んできた。

昨秋、持病の腰痛が悪化。体の負担を軽減するため今年は、メインの栽培品種を重さ10キロ前後から7キロ程度の別品種に変更予定。数々の笑顔に「やる気をもらっています」と、きょうも畑で手を動かす。

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