Joyoliving News : 2020年01月27日掲載

「躍動から鼓動」次世代へ

〜体操男子日本最多金メダル保持者・加藤澤男

元体操選手で筑波大学名誉教授の加藤澤男さん(73歳、つくば市在住)は、メキシコからモントリオールまでオリンピックに3大会連続出場し、現在も日本最多となる8個の金メダルを獲得。昭和の「体操王国ニッポン」を支えたレジェンドが、次代に残したい思いを語った。


7月には聖火リレーランナーとしてつくば市内を走る=11月29日、筑波大学

床・あん馬・つり輪・跳馬・平行棒・鉄棒の全6種目で競う個人総合2連覇を含め、加藤さんが五輪で獲得したメダルは計12個。

現役引退後は筑波大学で体操部を指導し、10年前に退官した。時折子どもたちにメダルを見せると、無邪気に「きれい」「ちょうだい」とせがまれる。

「勝利の過程に意味がある。子どもたちにはテレビ画面でなく、できれば生観戦してほしいね」

 

遊びから世界へ

地元新潟での中学時代、友人と共に体操部に勧誘された。体を動かしたくて仕方がない年頃。何度も練習したバック転を体育祭で披露し、部活の後も仲間と近くの川で泳いだ。

高校時代は国体を目指して練習に励み、3年生のとき団体と個人で優勝。晴れて全国区の選手となったが同時期に行われた1964年の東京五輪はまだまだ「自分とは違う世界の出来事」だった。

東京教育大学(現筑波大学)に進学し国内4位に食い込んだ頃から徐々に世界を意識。講義や教育実習で疲労困憊(こんぱい)になりながらも白い粉にまみれない日はなかった。

22歳で初出場したメキシコ大会は日本の団体3連覇に貢献。個人総合でも下馬評を覆し「一番印象に残る」金メダルを獲得した。

諦めがつくほど


12個中4個のメダルは地元の資料館や高校に保管。手元には“悔しくて価値のある”銀メダルも。

加藤さんの体操は、つま先がすっと伸びる「教科書」と呼ばれた美しさが持ち味。生来のО脚や猫背を克服しようと努力した結果でもあった。

「動揺するから」という理由で試合中はライバルやスコアではなく会場の電球や床を見ていた。諦めがつくぐらい練習に打ち込むことで続くミュンヘンは個人総合2連覇などエースとして活躍。大学職員として働きながら競技を続けたが、30歳を迎え迷いが生じた。「選手のセカンドキャリア」などの言葉もなかった時代。金メダリストですら安定した将来は保障されていなかった。

痛めた両足首の療養中、次回モントリオールでの「史上初個人総合3連覇」が頭をよぎった。急場をしのぐように約半年間の猛練習を積んで迎えた本番、前回2位の旧ソ連選手は「石橋をたたいて渡るような」手堅い演技を披露。いくら追い掛けても背中が見えなかった。悔しい銀メダルだったが、試合後「自分が勝ち続けていた時も、常に敗者がいたんだな」と思い直した。

指導者として学生にその経験を話すことはなかったが、練習場では試合に敗れたり思うようにいかない選手らに自然と寄り添えるようになった。「日本最多の金メダル」の傍らで、悔しかったはずの銀メダルが輝いていた。

開幕まであと半年。スポンサーの支援や地域のバックアップなど、自身が初出場した半世紀前とはアスリートを取り巻く環境も様変わりしたが「本気で試合に臨む選手の気持ちやプレッシャーは、そんなに変わらないのかも」。

一方、インターネットやSNSの普及に伴い観戦スタイルも試合の楽しみ方も多様化しているが、子どもたちにはできれば会場に足を運んでもらいたいと願う。世界の強豪が本気でしのぎを削る姿に、子どもたちが何かを感じるはずだから。

「鼓動と躍動」3回シリーズは終了し、以後は随時連載します。

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