茨城空港に程近い小美玉市与沢地区に鎮座する手接神社。拝殿横に奉納されている木製の手形や手袋などは、神社に残る義理堅いカッパの伝説が由来となっている。
1465年(寛正6)頃、芹沢村領主・芹沢俊幹が梶無川を通りかかった際、乗っていた馬の尾をカッパにつかまれるも、刀でその手を切り落として難を逃れた。手首のないカッパは屋敷にやってきて「七郎河童」と名乗り、「老いた母を養うため手を返してほしい」と泣いて懇願。初め半信半疑だった俊幹も母を思う気持ちに心打たれ、七郎河童の先祖から伝わる手接の秘法や巻いておくと痛みに効く糸「きりすね」などを授かる代わりに手を返した。後に七郎河童の死体が見つかると、ふびんに思った俊幹は梶無川のほとりに小さなほこらを建て「手接大明神」として祭った。
いつしか「手の病が治る」と参拝客が訪れるようになり、『小川町史』の「手接大明神縁起」には「諸人参拝夥し」との記述も残っている。1507年(永正4)に現在の場所に移り、1849年(嘉永2)社殿焼失の憂き目に遭うが、同年に再建。「今も多くの方が県内外から訪れています」と同市教育委員会生涯学習課の和久法子さん。
1999年(平成11)には氏子の手によって、境内に河童碑が完成。義理を忘れぬ七郎河童は、今も静かに境内を見守っている。