下妻市本宗道の宗任(むねとう)神社境内北側に残るかんがい用水の分水施設「江連用水旧溝宮裏両樋」が、近代化の面影を今に伝えている。
真岡市上江連を水源とする江連用水の起源は江戸時代。享保の改革の一つである新田開発のために引かれたが、鬼怒川の水位低下のため水が引けなくなり廃された。その後、廃された用水路と以前からある4つの用水路をつなぎ1829年(文政12)に現在の江連用水が完成。これにより1654町歩の水田が潤った。
それから約70年後の1900(明治33)、鬼怒川と小貝川に挟まれた地域のかんがい用として「宮裏両樋」を建造。江連用水を下妻方面と常総方面に分水する樋門は、各3.6メートルの二連の煉瓦水門と湾曲する煉瓦擁壁が一体となっていて、上流部が水切り、下流部が階段上とする堰柱の形式が特徴。レンガ積みは長手だけの段と小口だけの段が一段おきに積まれた「イギリス式」を採用した。今でも渇水期には底のレンガがあらわになり、同市鯨(旧千代川村)で操業していた国府田煉瓦工場の刻印「∴」が姿を現す。ちなみに千代川村の語源は、江戸時代に用水工事の陣頭指揮を執った役人が詠んだ「樋びらきや豊田郡の千代の水」の歌からきているとされる。
江連用水の流路は昭和50年代に変更され水門は本来の機能を失ったが、今年3月末に「国土の歴史的景観に寄与するもの」として国登録文化財に指定。現在は住民のウオーキングや憩いの場になっている。
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