土浦駅西口から延びる八間道路沿いにある東光寺には、日清・日露戦争で活躍した軍人乃木希典の外祖父・長谷川金太夫の墓と母の乃木寿子の納骨堂がある。
土浦藩土屋家の江戸詰だった長谷川家。長谷川金太夫の人物像については資料がなく明らかではないが、その娘寿子は江戸で生まれ時の藩主土屋彦直の長女・欽子姫が長府藩主の毛利元運に輿入れしたのが縁で毛利家の家来・乃木希次の後妻に入った。
そのため、「おそらく寿子は土浦に来たことはなかったと思います」と住職の松井泰壽さん。寿子はその後、夫の左遷などで傾いた一家を必死で支えた。
1896年(明治29)、三男の希典が日清戦争の旅順攻略で武勲を挙げ明治29年に台湾総督を拝命。その際一緒に海を渡った寿子は、1年経たずにそこで命を落とした。その墓は「台北郊外の三番橋という共同墓地のような場所にあったと聞きます」と松井住職。
現在墓地は開発に伴う区画整理などでなくなってしまったとされるが、先々代の松井泰禅和尚が1938年(昭和13)に乃木堂と呼ばれ親しまれる刀自(とじ)霊堂を境内に建立し、その後台北に赴いて寿子の墓を詣で分骨して堂内に安置。
今でも同窓会報で知ったという台北高等女学校の元生徒が訪れることがあり、お堂と金太夫の墓にお参りする。お堂には「明徳亀鑑」と書かれた扁額が掲げられ、寿子の生き方を後世に伝えている。