石岡市国府の6号国道そばにある春林山平福寺は、平安時代中期の武将で常陸平氏や伊勢平氏の祖といわれる平国香(くにか)により約1000年前に建立された。
如意輪観世音菩薩を本尊とし、かつては真言律宗だったが常陸大掾氏滅亡後は曹洞宗(禅宗)として今日まで続いている。
「国香は平家一族の基盤を固めた努力の人。平福寺という名には家族や次世代の幸せや福を願う気持ちが込められています」と曽根田宏道住職。
国香は桓武天皇のひ孫・平高望(たかもち)の長男で将門の叔父にあたる。筑波山西麓の旧真壁郡東石田(現筑西市)を本拠地とし、常陸国国府の官職「大掾」を受け継いだ。
長男・貞盛は鎮守府将軍となり、貞盛の4男・維衡は伊勢国に地盤を築いた伊勢平氏の祖、その後は正度、正衡、正盛、後の平氏政権を支えた武力と財力を誇った忠盛、そしてその長男・清盛が武士で初めて太政大臣となって政治の実権を握り、「平氏にあらずんば人にあらず」と言われる最盛期を迎えた。
一方、常陸大掾は国香の次男・繁盛が継承し、勢力を強めた詮国(あきくに)が築城した府中城を拠点に平氏一族による中世の常陸国(現石岡市)支配が約700年間続き、佐竹義宣の侵略で1590年(天正18)に滅亡した。
平福寺は常陸大掾氏の菩提寺として知られ、大掾氏代々が眠る「常陸大掾氏墓所」(市指定史跡)には五つの石を積み重ねた五輪塔14基が林立し、本堂前には高さ3.2mの巨大な「常陸大掾氏碑」がある。