霞ケ浦に注ぐ川尻川のほとりに、漁師が水揚げした佃煮用の川魚などの貯蔵に使った石造りの蔵が残っている。
江戸時代まで霞ケ浦の川魚は焼いたり生で食べることが多かったが、明治に入ると殖産興業で重工業や軽工業が発展し日清戦争やそれに伴う大陸への移住者のために日持ちが利く保存食の需要が急激に高まったという(同市郷土資料館学芸員の千葉隆司さん)。そのため湖岸の牛渡、志戸崎などの漁港付近には水揚げした川魚を加工する「五十集屋(いさばや)」と呼ばれる業者が増えた。
現存する蔵はかすみがうら市加茂字川尻の飯島商店(屋号・カネカワ)のもので、5代目の飯島逸朗さんによれば帆引き漁は主として夜間に行われ、漁に出る回数を「一カワ」「二カワ」と呼んだことから、その昔霞ケ浦が「カワ」と呼ばれていたことが分かる。
蔵の前を流れる川尻川には手漕ぎの舟がきて「佃煮を土浦や栃木に運んだり、舟に乗って土浦に出かけたりしました」と昔日に思いをはせる妻の美智子さん。
戦後、物流の主役は自動車に代わり冷蔵庫の普及もあって蔵はその役目を終えたが、地場産業の興りと霞ケ浦の水産加工品が全国的に知られるようになった黎明期の大切な資料として残され、近年は映画のロケなどにも使われている。