今年開藩400年を迎える水戸藩が1624年(元和10)に小川御殿(現在の小川小学校)に常番を置いて江戸に2隻の米船を送ったことに端を発する小川河岸跡が、小美玉市小川の市営駐車場に往時の面影をわずかに残す。
1635年(寛永12)ごろには水戸藩は馬を使っての輸送から水運にシフト。経路は水戸から那珂川、涸沼川まで船で運び、そこから陸路で小川河岸(園部川)から霞ケ浦の内海を通って江戸に至るコース。
もう一つは下吉影河岸から北浦を抜け利根川に抜けるルートで、小川・下吉影河岸の薪炭問屋が扱う「サクラマキ」は江戸で大変な人気があったという。
小川河岸には藩の御用河岸(井崎河岸と小仁所河岸)が設置され、「『丸ニ水』の旗をはためかせた御用船(高瀬舟)が通ると民間の船は避けなければなりませんでした」と小美玉市玉里史料館学芸員の本田信之さん。
水運は大正末期に入ると鹿島参宮鉄道、明治期には常磐線の敷設で衰退。たびたび氾らんした園部川も1936年(昭和11)の河川改修工事で流れが変わり、元々の川の一部は生活排水を流す暗渠(あんきょ)になった。
付近には「安永8年」「舩平講中」と刻まれた水神宮2基と欄干跡が残るだけで、古い川の記憶は資料の中にのみ存在する。
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