かつてお産が命懸けだった時代に地域の女性がつくった互助組織「子安講」の拠点だった子安神社。
子宝に恵まれても食糧事情が悪く、度重なる飢饉で「間引き」などの悪習が広まり出生率が低下した江戸時代中期。「子安講は集落の各世代の女性がそれぞれの経験を若いお嫁さんに伝え、子孫を残そうという組織でした」と、かすみがうら市郷土資料館学芸員の千葉隆司さん。
講中の代表は毎年9月3日の例祭に神社に代参し、お払いを受けお札や掛け軸を持ち帰り各自に分配。その日は農家に嫁いだ女性が悩みを分かち合ったりごちそうを食べたりして過ごす安息の日でもあった。「そんな風習も昭和50年代を境に年々減少しています」と同神社宮司の皆川安麿さん。
かつては参拝客でごった返し2日間にわたって行われた例祭にも「今は跡継ぎのお嫁さんがおらず、子安講が解散される地域もあるためお年寄りがお札や掛け軸を返しに来るんです」。
現在、かすみがうら市郷土資料館では企画展「子安神社〜安産・子育ての名社と女人信仰」を開催中で、奉納された絵馬や昔の産着などが展示されている。
共に悩み、共に助け合ってきた子安講の原点は「人は人によって育つ」。そんな思いが「物質的に豊かになった社会で精神的な飢えを癒やしてくれるのだと思います」と千葉さん。
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