その昔、江戸に物資を運ぶ伝馬船が行き交った利根川。河内町角崎町歩にはその一つ「権八の渡し」が存在していたが、現在は河岸への道案内をした道標だけが数キロ離れた路傍にひっそりと建っている。
昭和40年代まで橋がなかった利根川では千葉県(下総国)に渡るため古来から渡守が活躍。江戸時代には大杉神社から成田山にお参りする参拝客で河岸はごった返し、河岸の一つ「権八の渡し(猿ケ納屋の渡し)」には渡船業を営む権之丞という渡守がいた。
ある時祐天寺の祐天上人が小野逢善寺から舟に乗ったが、運悪く嵐に遭い権之丞の操術で九死に一生を得た。その労を労って上人が権之丞に贈った「六字名号」の小箱が、同町角崎町歩の町田家に今でも家宝として保管されている。
町田家は地元で「権八の家」として通っており、「権八の渡しの由来は権之丞の名から来ていると考えるのが有力」と河内町文化財保護審議会委員の鈴木久さん。
同町羽子騎のバス停向かいの路傍には「此方さるがなや」と彫られた道標が建ち、往時のにぎやかな河岸へ続く道を指し示している。