かすみがうら市雪入の十五社神社。本殿の縁の下には長さ約80?、直径25〜35cmほどの花火筒が大中小3本、無造作に横たわっている。
当時、同市中志筑一帯は志筑藩本堂家が支配していたが、かすみがうら市郷土資料館学芸員の千葉隆司さんは「時は幕末。火薬を大量に持っていることが公になり他藩から警戒されることを恐れた志筑藩が、花火という民衆の娯楽に火薬を使うことでその質や威力を試したのかも」と推察。一方歴史資料『千代田の民具(昭和52年刊)』には、1921年(大正10)ごろまで「秋祭りの花火大会」で盛大に打ち上げていたという地元老人の話が記述されている。
秋祭りは雪入地区の一風変わった祭礼。午前2時ごろ裸の男たちが雪入山の奥深くに入り湧き水をくんで、「ホーイホーイ」と叫びつつ下山するというもの。面白いのはこのとき絶対に喋ってはいけないということと、出会った人や動物は皆死んでしまうという伝説があること。「たぶん新嘗祭と同時期ということから、五穀豊穣の祭礼なのでしょう」と千葉さん。
同市志戸崎の鹿島神社の本殿下にも同様の花火筒が残っているが、こちらも詳細は謎のまま。地域に残る花火筒はその役目を終えた今、神社の片隅で静かに眠っている。