小貝川提にある筑波嶺詩人・横瀬夜雨の詩碑は筑波山から運んできた御影石に第二詩集『花森』からの作品『やれだいこ』を刻んだもの。原本は、50歳を詩人仲間と共に祝った際に残した真筆。
1895年(明治28年)、横根村(現下妻市)に7人兄妹の次男として生まれた。3歳で傴僂(くる)病にかかり、尋常小学校を2年遅れで卒業後、多感な青年時代を蔵にこもり読書をして過ごした。14歳のとき姉の唱歌読本で詩の世界に目覚め、詩誌『文庫』(当時は少年文庫)に投稿した「神も佛も」が伊良子精白に激賞、河井酔茗とともに文庫派の三羽烏と呼ばれた。
詩碑は初恋の横瀬琴を詠んだもので首尾二連を刻む。「花なる人の恋しとて 月に泣いたは夢なるもの」。花嫁となり自分の知らない誰かに嫁いでいく琴を思い寂しさで月に泣いたことも今ははかない夢。「破れ太鼓は叩けどならぬ 落る涙を知るや君」。破れた太鼓にも似た悲しみを君は知らないだろうという切ない言葉に、苦しい諦めがうかがえる。薄幸に耐え40歳で結婚し3人の子供をもうけ、晩年は郷里の青年に漢文などを教えて過ごした。
「ハンデを持ちながらも力強い生き方を貫いた夜雨の生涯を通して生きる意味を考えてほしい」と同市ふるさと博物館の佐久間秀樹さん。詩碑から小貝川を見ると、遠方には夜雨が愛した筑波山がうっすらと見える。
[TEL] 0297(44)7111/下妻市ふるさと博物館