利根町の田園地帯の一角。その昔念仏院という寺があった場所に建つ泪塚(塚=墓)は布川地区に伝わる昔話「延宝の鶴殺し事件」に由来する。
延宝5年、布川の隣、押付村の鈴木太郎左衛門をはじめ一族3家族10人が幕府の鳥見役人(大名の鷹狩りのために住民の鳥捕獲を見回る)に捕らえられ処刑された。郷土史に詳しい芦原修二さんによれば発端は二つ。一つは太郎左衛門の娘・ゆきに結婚を迫った役人が、断られた腹いせに幕府により禁止されていた鶴捕獲の濡れ衣を着せたというもの。もう一つは同じく処刑された鈴木佐左衛門の妻・いとが労咳(肺結核)にかかり、鶴を食べさせれば回復すると村の住民が協力したというもの。さらに、与力や同心が鈴木忠兵衛宅に夜中踏み込み、祖母が小豆を抱えたまま追っ手に捕まり絶命したことから、以後同地ではいくら煮ても硬い石小豆しか取れなくなったという話も残っている。
塚は千日供養で、布川城主・豊島氏の家臣・香取源右門が同僚の鈴木一族との縁で建てたもので、戦国期からの縁の深さがうかがえる。源右門の銘の周りにはこの時期彼岸花が咲き、無念の死者の魂を慰めている。
0297(68)4600/利根町民俗資料館