取手市岡地区、小貝川から広がる標高27メートルの台地に県指定史跡の大日山古墳がある。
形状は円墳で、外観は方形状。発掘では目立った遺物は発見されなかったが、古墳時代後期とされ江戸時代には土地の大日如来信仰により古墳の頂上に岡神社が建てられた。言い伝えでは関東の豪族・平将門の愛妾・桔梗御前の墓とされるが、将門が活躍したのは平安時代。将門の墓といわれるふもとの仏嶋山古墳とともに年代的には合わず、あくまで伝説。
1935年(昭和10年)、山王村(旧藤代町の一部)の村史蹟保存会は二つの古墳を県の史跡に指定するよう当時の安藤狂四郎知事に嘆願したが、時代は軍国主義に向かっていった右傾化の時。「あの時代に、かつて朝廷に反逆を企てた朝敵に関係する人物の墓を県の史跡にしてほしいという嘆願がどれほど勇気のいることだったか。山王村の反骨精神を感じます」と同市埋蔵文化財センターの飯島章さん。4年後の1939年(昭和14年)、大日山古墳は史跡指定を受けたが、将門の墓と伝えられる仏嶋山古墳は指定されず、今に至る。
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