Joyoliving News : 2020年09月14日掲載

「地域の魅力、伝えたい」

ファインダー越しに見つめるわが町、牛久

牛久市在住の太田二郎さんは、転勤を機に移り住んだまちの姿に魅了され、変遷を記録しようと自費で航空写真を撮影。日を追うごとに発展していく姿を残したいと始めた試みはいつしかライフワークとなり、現在は活動の場をまちづくりや教育にも拡大。「次世代にまちの魅力を伝えたい」という思いを胸に、精力的に活動を続けている。

「時間を止める」カメラ


今夢中なのは、舌状台地と呼ばれる特徴的な形状の新地台地。「牛久の原風景」と称する景色は、豊富なオリジナル写真を使って制作する「かっぱつ化かわら版」最新号でも特集した

東京都出身。小学生の頃に父が買ってくれた子供用カメラ・フジペットが写歴の始まり。時を重ねても、その瞬間が変わることない写真は「時間を止められる」と感じ、心をつかまれた。18歳で憧れのペトリFTを購入すると本格的にのめり込み、さまざまな被写体にシャッターを切り続けた。都立航空高専を卒業後、大手電機機器メーカーに就職。カメラを生産する機械設計など生産技術の分野に携わった。

転機は1986年の阿見事業所への異動。最初に降り立った牛久駅は木造平屋。周囲に広がるのどかな景色を前に「最初はえらいとこに来てしまったと思いました」。しかし、大きな自然災害がなく医療や商業施設が十分整った好環境を実感するうちに「ついの住み家にするなら牛久」と思うようになった。期せずして、つくば万博の臨時駅だった万博中央駅が残るひたち野うしくエリアは開発が始まったばかり。「これから自分が住む町の変化を残そう」。写真家魂に火が付いた。

飛行機好きだったことや旧阿見飛行場が至近にあったことも契機となり、91年にセスナ機をチャーターし、初めての航空写真撮影を決行。上空300m、窓を外した機内で、風と音に圧倒されながらもカメラを構えた。畑や雑木林、ところどころに小川が流れる万博中央駅跡地周辺、牛久シャトー隣接のブドウ畑など、豊かな自然を前に夢中でシャッターを切った。航空写真撮影は2010年まで7回実施し、ひたち野うしく駅の開業や区画整理進行など刻々と変化していく町をつぶさに記録。同年、航空写真をまとめた写真集『牛久空中散歩』を発行した。

牛久の魅力、次世代に


ひたち野うしく駅周辺の変遷を伝える貴重な資料。1991年8月15日撮影。中央に見えるのが「万博中央駅」跡地(太田さん提供)

1998年にひたち野うしくエリアに自宅を構えて数年後。街に慣れるにつれ、JR牛久駅東口付近の人けのなさが気に掛かるようになった。「電車の往来がない時間のがらんとした雰囲気を何とかできないか」。市内活発化を目指す市民ワークショップなどに参加することから活動を開始した。

志を同じくする仲間を得て、2010年には牛久駅前かっぱつ化実行委員会を発足。得意分野の写真を生かし、牛久の今昔や観桜スポットをまとめた「かっぱつ化かわら版」の発行やコミュニティーバスかっぱ号で町の歴史を巡る際のパンフレット制作ほか、地元ローカルテレビと提携するなど仲間と共に精力的に活動している。

同会が主催する「牛久駅前どんどん祭り」では、駅は「集う場」になり得ることを体験してほしいと市内の中学・高校の吹奏楽部やダンス部などに発表の場を提供。校内では実現できない地域住民とのつながりも創出している。


2001年9月1日撮影。区画整理が進み、大型の施設なども見受けられるように(太田さん提供)

10年ほど前から、市内小学校で「空から見た牛久の今昔」「ひたち野うしくの街ができるまで」などのテーマで特別授業を実施。自身が記録してきた航空写真を素材に、近年から時代をさかのぼりながら講義を進めると、子どもたちから「鳥になった気分」「牛久ってこんなに自然があったんだ」などの声が上がる。「故郷を学び、未来を考えるきっかけにしてもらえたらうれしい」  

理想は、住民が家族や友人と気軽に遊びながら歴史や自然に触れられるまちづくり。すてきな故郷だと誇ってもらえることが重要と感じているからこそ、今後も写真は大切にしたい。「何気ない日常の中にも、地域の魅力が詰まっている。その一端でも記録して伝えていきたいね」。静かな情熱とカメラを携え、きょうも牛久の町を歩く。

Ads by Google

女性ライフスタイル情報紙「Chou*Chou」

イベントカレンダー

facebookページ「つくスタ情報局 ~つくばスタイルの魅力発信!~」

最新の特集

PAGE TOP