Joyoliving News : 2020年01月20日掲載

われ、「究極」の求道者

〜ブラインドサッカー日本代表・川村怜(りょう)

東京パラ五輪視覚障害者5人制サッカー(通称ブラインドサッカー)に初出場する日本代表のエース・川村怜選手(30)。昨年夏、12年間所属したつくばのクラブチームを離れ、新天地で汗を流している。幼い頃からの「サッカーが好き」という一途な思いを昇華させ、メダルの先にある己の「究極」を追い求める。


影響を受けたのはイチロー選手。「会ったことはないですけどね」=昨年11月7日

昨年3月、都内で開かれた世界大会。キャンセル待ちの試合もあり、期間中5688人を集客した。迎えたコロンビア戦、エース川村怜選手(30)が驚異のテクニックで観客の度肝を抜いた。ドリブル突破から突然ボールを止め、また高速ドリブル。聴覚頼りの競技の盲点を突く斬新なプレーで相手DFの虚を突き、鮮やかなゴールを決めた。

海外選手の技を研究し、距離感や仕掛ける位置を磨いてきた。代表キャプテンとなって4年。風邪をひかない、忘れ物をしないなどのレベルから高度なテクニック、戦術面の体現まで一分一秒がサッカー一色。目指す「究極」に終わりはない。

「ゴン」が影響

5歳の時、ぶどう膜炎を患い視力が衰え始めた。小学生で中山雅史選手のプレーに魅了され大阪人ながらファンになった。中学では周りの助言を受け入れサッカー部入部を断念。2007年、鍼灸マッサージ師を目指し筑波技術大学に進学した。

春先、グラウンドでアイマスク姿で華麗なフェイントと正確なシュートを決めるクラブチーム「アヴァンツァーレつくば」選手の姿に衝撃を受けた。頼りになるのは聴覚と触覚、そして仲間の声。実際のボールの位置と聞こえてくる音のずれ、さまざまな方向から聞こえる雑音、とりわけラグビーに匹敵する激しい接触プレーへの恐怖心はその後も尾を引いた。

09年夏、チームを一時離れた。今よりも高いレベルを目指すなら、一生を棒に振るかもしれないけがなど「それなりの覚悟」でピッチに立たないと後悔すると思ったから。冬、アジア選手権で強豪中国相手に全く歯が立たない代表戦を見た。「猛然と、挑みたくなった」。上手な選手は接触がない。ひたすら練習しよう―。全盲と診断された13年に代表デビュー。ピッチ上で一人、わくわくしていた。ようやくスタートラインに立った気がした。

仲間とならできる


昨年タイで行われたIBSAブラインドサッカーアジア選手権でシュートを放つ川村選手(左)
(C)JBFA/H.Wanibe

昨年5月に娘が生まれ、夏には12年在籍したアヴァンツァーレつくばから移籍した。あえて代表クラスの仲間に頼れない状況をつくった。「それに、後輩に試合経験を積ませ次世代の育成も意識しないと」

午前は練習、午後は仕事、時には地域の学校訪問でアイマスクを着けた児童らに「いかに他人への伝え方が難しいか」を体験してもらう。思いや感覚を言語化し他人と意思統一を図っていくことは、障害を持った背景や育った環境、戦術理解もさまざまなチームメイトをまとめるのと同じ。「ブラサカは人間の可能性を感じられる競技。独りではできないことも、仲間とならできるから」。体験後は、子どもたちに好きなことに挑戦し与えられた人生の壁を乗り越えようと呼び掛ける。

「僕にとっての人生最初の壁は、中学の時どうしてもサッカー部に入れなかったことでした」。これまで数限りない我慢を繰り返して、今こうして好きなことで世界に挑戦できている。「これ以上ない幸せです」


【視覚障害者5人制サッカー】
愛称は「ブラサカ」。チームは4人のフィールドプレーヤーと晴眼者(健常者)のキーパーで構成され、ボール保持選手に対する時は「voy!(行くぞ)」と声を掛けるのがルール。ピッチは壁で覆われ、ラグビーのような激しい接触プレーが多い。転がすと鈴の音が鳴るボールや仲間の声掛けなど聴覚頼りのため、プレー中観戦客が声を出すことはマナー違反とされる。

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