Joyoliving News : 2020年01月11日掲載

もう「神風」には頼らない

〜クレー射撃女子日本代表・中山由紀枝

昨年秋のアジア選手権で3位となり、通算5度目の五輪切符をもぎ取ったクレー射撃女子トラップの中山由起枝選手(結城市、40歳)。2000年のシドニー五輪での初出場後、結婚、出産を経て現役復帰。人生を共に歩む一人娘と支えてくれる大勢の仲間の思いを背負い、東京五輪で競技人生22年の集大成に挑む。


ドーハで獲得したメダルを手に活躍を誓う(日立建機提供)

昨年11月、カタールの首都ドーハで行われたアジア選手権は、五輪の最終選考会を兼ねた重要な大会だった。予選で調子が上がらず一時は敗退の危機にも直面したが、何とか盛り返してファイナルステージへ。上位入賞が限りなく難しい状況だったが、競技人生で得たすべてを出し切るつもりで射台に立つと、強風が吹いていた。

その影響を受けて上位選手がミスを連発。次々と順位を落とすライバルを横目に集中力を高めていった。「割と冷静」にクレーを仕留め、3位入賞をもぎ取った。「私にとってはまさに神風。9回裏に逆転サヨナラ満塁ホームランを打った気分」と振り返る。

五輪出場は今回で5度目。女子選手では柔道の谷亮子に並ぶ。東京五輪では主戦場の女子トラップに加え、新種目となる混合トラップにも出場する。

シングルマザーとして

散弾銃で素焼きの皿を打ち落としていくクレー射撃。瞬時に目標物をキャッチする動体視力のほか、メンタルのコントロールが重要となる。

中山選手の競技人生は社会人生活とともに始まった。高校時代は3年間ソフトボール漬けの毎日で、高3夏のインターハイでMVPに輝き国体にも出場。類いまれな動体視力、身体能力、瞬発力、忍耐力を磨き上げた。生まれ持った資質と並々ならぬ努力が、クレー射撃部を立ち上げるに当たり候補選手を探していた日立建機(本社・東京都台東区)の目に留まり、「一緒に五輪を目指そう」とオファーを受けた。

個人競技の経験も、ましてや銃を持つのも初めて。入社当時は18歳で、銃刀法により免許が取得できないためイタリアに射撃留学。瞬く間に才能が開花したが、競技歴3年弱の21歳で初出場したシドニー五輪ではプレッシャーに押し潰され頭の中が真っ白に。結果は予選落ちとなる13位だった。「怖いもの知らずの勢いで積み上げてきたものが、すべて崩れた」。

大会後は結婚と出産、そして離婚を経てシングルマザーのアスリートとして愛娘・芽生(めい)さん(18)の育児に専念していたが、03年に「母として、競技者としても娘に勇姿を見せたい」と競技に復帰した。続く北京大会ではメダルにはあと一歩届かなかったものの健闘し自己最高の4位に。ロンドンとリオデジャネイロは予選敗退し、結果を残すことができなかった。

お互い頑張る


練習に励む中山選手(日立建機提供)

「これまでの競技人生は娘の成長と共にあった」と話す中山選手。海外や国内の遠征中は祖父母に預かってもらったものの、練習場では皆がかわいがってくれた。けがや病気の時は競技に集中できないこともあったが、「ママが頑張る時は、芽生も頑張る。芽生が頑張る時は、ママも頑張る」という合言葉を励みに、母親の強い姿も弱い姿もすべてさらけ出してきた。

「芽生と私にしかできない親子のスタイル。娘には、目の前の困難に毅然(きぜん)と立ち向かえる強い女性になって欲しい」と願っている。 神風は、もう吹かない。それでも、今の自分には多くの人々との絆がある。

茨城県にゆかりのある五輪選手を3回シリーズにわたって紹介します。

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