筑波技術大学(大越教夫学長)に通う視覚障害者の学生3人が、1月28日(日)に都内で開かれるパラクライミング日本選手権に出場する。昨年秋、学内に設置されたボルダリング壁を舞台に、互いに助け合いながら文字通り手探りで登はんルートを探していく3人。何度も間違えながら登り続けることで、それぞれの頂を目指している。
「10時、左。9時、次は8時、ちょい下。次は右、2時。もっと上…」
底冷えする体育館に、星野隼人さん(21)がオブザベーションする声が響く。オブザベとは、壁に突き出たどのホールドをつかみ、どこに足を置くかと迷う時間をできるだけ減らし、無駄に体力を消耗しないために行う事前観察のこと。晴眼者は自分の目でコースを容易にイメージできるが、3人にそれはできない。
幅6メートル×高さ4メートル、90度と103度の傾斜がある学内の壁を、星野さんのオブザベで曾田祥さん(21)が登っていく。星野さんは視界の真ん中が見えない中心暗点で、曾田さんは両目共ほとんど見えない。「だから、皆で考えて一緒に登っているようなもの」と星野さん。
傍らの泉隼樹さん(21)は星野さんとは逆に視界の周りが見えないが、競技を始めて半年で今回初めて大会に出る。仲間同士、コースや位置取り、体の使い方などを試行錯誤する時間が、真冬の体育館にゆっくりと流れていく。
パラクライミング界で、曾田さんは早くから頭角を現した。先天性レーベル黒内障で、成長と共に視力が低下。見えなくなった時のことは、割とはっきり覚えている。中2の時、大好きなロックバンド「リンキン・パーク」のライブ動画を見ていた時に右目が暗くなった。左目は都内の盲学校に通っていた17歳の頃。勝鬨橋のたもとで夜釣りをしていた時に光を失った。
それでも、ずっと続けてきたのがクライミングだった。中学から本格的に始め、山梨の実家から相模原や八王子のクライミングジムに通った。大人に交じって数多くの大会にも出場したが、順位よりも「いかに自分が思い描いたルート通りに壁に挑戦できたか」が大事だった。15歳で初めて日本代表に選ばれると、IFSCクライミング世界選手権スペイン大会カテゴリーB2(強度弱視)で優勝。
試合は毎回初見のルートだが、事前にホールドや傾斜、コースのイメージを音声テープで聴き、晴眼者のコーチと作戦を練った。イメージ通りに手足が掛かることもあれば、握力が落ちて落下することもある。自分の体格や柔軟性、残りの持久力などを勘案し、時間内にゴールまで最短のルートを探す。「本当に頭使いますよ。将棋みたい」。続く14年、16年の世界大会も制し、3連覇を果たしている。
2015年のサークル立ち上げ当初は電車やバスを乗り継ぎ、つくばや常総のジムで練習した。「お金も時間も掛かりました」と苦笑する星野さん。
今年になって週2回学内で練習できるようになったが、「あそこの壁の、あのグレードにトライしたい」という欲には勝てず、しばしば遠征する。
実力は曾田さんが飛び抜けているが、他の二人が迷っている様子を肌で感じ取っても、すぐに答えは示さないという。泉さんは言う。「登れなかった時に、次どうするか仲間と一緒に考えることが楽しいから」。曾田さんの夢はクライマーとして強くなることだが、「本当のところは自分でもよく分からない。でも、今がめっちゃ楽しいんです」。
パラクライミング日本選手権は、1月28日(日)明治大学和泉キャンパス総合体育館で開かれる。