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記事配信 [2008-02-04]
 

牛久にプロバスケチームを―

茨城ロングホーンバスケットボールクラブ代表 澤田司さん

バスケットボールの「アンフィニ東京」や「埼玉ブロンコス」の元監督、澤田司さん(牛久市、63歳)は、牛久にプロチームをつくろうとクラブチーム「NPO茨城ロングホーン」を発足。プロリーグ「bjリーグ」加盟を目標に子どもたちの指導やバスケの普及に尽力する中、昨年、脳梗塞で倒れ左半身がマヒ。一時は監督を続けることも危ぶまれたが、懸命なリハビリで復帰した今は「愛するバスケで地元に恩返しがしたい」との思いを一層熱くする。


「アップテンポなバスケのゲームはパフォーマンス。その面白さを多くの人に知ってもらいたい」と澤田さん

競技人口は少なくないが、なかなかメジャーになれない日本のバスケットボール界を活性化するため、05年に国内初のプロリーグ「bjリーグ」が開幕した。現在、10球団が熱戦を繰り広げ新規参入も継続的に行っている。

澤田さんの狙いは、年間20試合行われるホームゲームを牛久をメーンにした県南地域の主要都市で開催し、観客動員で経済効果をもたらすこと。「牛久に住んで30年以上になりますが、地域のために何もしてこなかった。私にはバスケしかありませんから、バスケで恩返しがしたいんです」。

岡山県に生まれ、中学入学と同時にバスケットボール部に入部。当時の身長は155センチと小柄でバスケには不向きだったが、「澤田はシュートをやれ」と監督に見込まれ、毎日300〜400本をノルマに猛練習。高校、大学でもシューターとしてチームに貢献したが、小柄な体格と身体能力に限界を感じ指導者への転向を決意した。

国士舘大学卒業後、体育教師として東洋大学附属牛久高校に赴任し男子バスケットボール部監督に就任。とにかく走って攻める「ラン&ガン」を武器にわずか3年で関東大会出場常連校に育て上げた。その手腕を買われ実業団チーム「アンフィニ東京」監督に大抜擢。創部から1年11カ月で日本リーグ9部から2部昇格の日本記録を樹立し、その後1部リーグ昇格。1試合に264点の高得点を記録しギネスブックに認定されるなど数々の功績を残した。その間、日本オリンピック委員会の強化コーチも務め、さらに「所沢ブロンコス」(現埼玉ブロンコス)、名門埼玉栄高校男子バスケットボール部監督を歴任しチームをけん引した。

04年、埼玉栄高校の定年退職を機にそれまで培ったバスケットボールの経験を社会に返せることはないかと考え、05年3月、NPO茨城ロングホーンを結成した。「サッカーの鹿島アントラーズのように牛久からプロチームを立ち上げればまちが元気になる」と東洋大牛久高校の教え子に話を持ち掛け、活動資金や練習場所の確保、コーチや選手獲得に奔走しチーム体制を整えた。選手は大学リーグなどで活躍した黒岩元希さん(26)や佐久間陸さん(26)、越川義久さん(23)ら埼玉栄高校OBが中心。澤田さんを慕って仕事も住まいも埼玉から牛久に移し、「どんな形でもサポートしたい」と意気込んでいる。

折しもbjリーグ開幕などプロチームづくりの機運は高まったが、チームを運営する企業探しに難航。bjリーグは従来の日本リーグと違って独立採算制。興行権が球団にあり興行の収益は運営会社にバックされる。Jリーグやプロ野球に比べ1チーム当たりの運営費は2〜3億円とプロスポーツリーグとしては参入しやすい。澤田さんは地元の有力企業に足しげく通い夢を熱く語るが、bjリーグ自体の人気が上がり収支の見通しがつくまでは―と、参加企業はいまだ見つからない。「まだまだマイナーですから大変なのは覚悟の上です」。


茨城ロングホーンのメンバー

チームづくりと並行して小中学生を対象にバスケットボール教室も開催。その教室で、突然の激しい頭痛とめまいに襲われた。救急車で病院に搬送され、翌日、危篤状態から奇跡的に意識を回復。しかし、左半身は全く動かず歩くこともできない上に食べ物も飲み込めなかった。

診断は脳梗塞。もうバスケができないのか―。当初はひどく落ち込んだが、「ロングホーンを中途半端で終えたくない」と、すぐさま気持ちを切り替えリハビリを開始。子どもたちの見舞いや手紙が励みになり、徐々に体が動くようになるとはやる気持ちを抑えきれず、倒れてから3カ月後には練習に復帰。とはいえ退院ではなく、あくまでリハビリの一環。「まだ尿管も付けたままで車いすでしたが、子どもたちが拍手で迎えてくれて本当にうれしかった」。週に2〜3回のペースで練習に参加し、やがて車いすなしでも杖や補助があれば歩行できるようになり、入院から7カ月後、晴れて退院を果たせた。

チームに完全復帰した今は、木曜日を除きほとんど毎日子どもたちや社会人チームを指導。以前のように選手と一緒に走り回ったり大きな声を上げることができないもどかしさはあるが、選手を育てる熱意は変わらない。

「生還できたってことは、バスケのために必要だから生かされているって思っています。プロ化が実現するまでは頑張らなくちゃ」

 

 

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