茨城県地域情報紙「常陽リビング」
常陽リビングホームページ
ホームグルメ美容・健康スクール・習い事ブライダル求人・就職フリーペーパー常陽リビング

現在位置 : トップ > 常陽リビングニュース

2006年5月15日

浪曲会期待の天才少女

木村はる乃さん 〜浪曲師・国本はる乃で活躍〜

稲敷市の木村はる乃さん(10)は、昨年10月に浪曲師・国本はる乃としてプロデビュー。大人顔負けの舞台度胸で浪曲「秋色桜(しゅうしきざくら)」を見事にうなり上げ、才能を見せつけた。浪曲界期待の新星は、この春小学5年生になったばかり。少女らしい多くの夢を持ちながら、今は好きな浪曲師の道を真っすぐに歩んでいる。


東家タキ子さんの三味線に合わせて大声でうなるけいこ風景

ドアを開く。腹の底から絞り出す大きなうなり声が三味線のリズムにのって部屋の中に響く。千葉県成田市にあるけいこ場の一室。派手な柄の布をかぶせたテーブルを前に「秋色桜」をうなる浪曲師、国本はる乃さんがいた。

浪曲は節とせりふで物語をつづる大衆芸能で、「歌う」「しゃべる」というより「うなる」が一番的確な表現。明治時代中期の寄席で三味線のバチさばきにのせた浪曲師の喜びや悲しみ、緊迫感、怒りなどさまざまな感情が人々の心をとらえ大ブームとなった。その後しばらく国民的芸能としてもてはやされたが、浪曲師の後継者不足が目立ち始めた1955年(昭和30)を境に衰退した。

けいこは約2時間集中して打ち込む。子供用に約20分にまとめられた「秋色桜」を何度も繰り返して覚え、曲師が奏でる三味線との間合いも体得。今は「三代将軍家光」の中の「将軍の母おでんの方様」に取り組んでいる。

ほのかに紅潮した顔に、うっすらと汗がにじむころけいこは一段落。

「大きな声を出すので、けいこが終わるとおなかが減っちゃって。最初は腹筋が痛くなったりしたけど、今はもう慣れました。少しずつ上達するのが分かるし、みんなに褒めてもらえるのでけいこは楽しいです」と、無邪気な10歳の笑顔に戻る。

普段は生まれ育った稲敷市の小学校に通い、父悟さん(51)と母典子さん(51)、兄2人(26歳・25歳)に囲まれて過ごす。発熱しやすい病弱な子供で両親を心配させたが、浪曲を始めて体力が付いた今はすっかり健康に。漫画を見たり歌うことが好きで、テレビの前ではいつも口ずさんでいる。

特に影響を受けたのが、江戸文字を商売にする傍ら、落語家鴬春亭(おうしゅんてい)梅八としても活躍する父、悟さん。地域の素人演芸会や老人保健施設、イベントなどで落語を披露する先輩として「はる乃が2歳の時から小話を聞かせ、舞台で落語をやる姿も見せてきた」という悟さんは、自分は落語のプロにはなれなかったが「はる乃に夢を託した」と期待を寄せる。


舞台用の着物は師匠の国本晴美さん(右)が選んだもの。談笑する姿は師匠と弟子というより祖母と孫のよう

はる乃さんに三味線を習わせるため旧知の仲の浪曲師、国本晴美師匠のもとを父娘で訪ねたのは昨年4月。3歳から習っている大好きなピアノを続ける一方で、体力作りのために通った水泳教室をやめてすぐの時だった。国本師匠の所に出入りしている曲師、東家タキ子さんの指導で三味線を習い始めたが、2回ほどバチを握っただけで急きょ浪曲に方向転換。国本師匠が試しに声を聴いて「浪曲の方がものになりそう」と、たぐいまれな声質とリズム感を見抜いたからだった。

「成長過程でまだ三味線をやるには手が小さ過ぎるらしくて。浪曲にもってこいの張りのある声がいいらしいね。それから毎日風呂ん中でうなってるよ」と悟さん。天賦の才能を見いだされたはる乃さんは「最初は浪曲なんて嫌だったけど、やってみると面白くて」とすぐに気に入った。それからというもの月4回欠かさずけいこ場に出向き、子供ならではの飲み込みの早さで20分の物語を3カ月ですらすら言えるまでになった。そして、05年10月、成田山奉納演芸会で初舞台を踏んだ。普通なら3年かかるところ約半年でプロデビュー。プログラムでは「天才少女」と紹介された。演目はもちろん「秋色桜」。会場いっぱいの客の目と耳が、天才少女に集中した。

「初日の舞台は頭が真っ白になって、よく覚えていません。2日目はお客さんの顔が分かるくらい冷静に周りが見えました」と、度胸満点の初舞台。

プロデビューしたといっても本格的な活動はまだ先のことで、今は国本門下の弟子であり行儀見習いの真っ最中。「本当はね、別に夢があるんだ。内緒だけどね」。微笑む瞳がキラキラ輝く。

 

 

Ads by Google